神聖フリナリカ王国盛衰史 異説集

◆はぐれ王子辺境譚 [2]

 テントの外では雑兵たちが金属のパイプを繋いで長い棹状にし、その半ばと先端に松明を点して緩やかに振り続けている。確かにこれなら狼煙の使えない夜間でも遠くの集落まで届くだろう。
「蛮族の祭りみたいだな」
 ハウラン第四王子は感心したようにそう呟いた。
「……なに、下民どもにとっても祭りみたいなものです」
 薄着のままの王子の肩にフェルトのマントを掛けながらギョトオが答える。
「奴隷買いがか?」
「そうですとも。働き手にもならぬ若い娘一人差し出すだけで、家族が数年は食うに困らぬ金子が手に入るわけですからな」
「ふうん、人の値段にしちゃあ安いように聞こえるがなぁ。俺が王族のお坊ちゃんだからかね?」
「いえ……まあ……そうかもしれませんな。私めは町人の出ですからして、彼らの気持ちはわかります。手放さなくて良いものなら、我が子を売ったりはしますまい」
「ふうん、ギョトオお前、無礼な事を訊くが城に上る前はずいぶん貧しかったのか?」
「それは……まあ昔の話ですな」
「今では面影もないほど肥えてしまったようだが」
 おどけて言いながら、ハウランは内心胸を突かれたように感じていた。ギョトオとそんな話をするのはこれが初めてだったからだ。もしかすると自分は、この忠臣の事をなにも知らずにいたのかもしれない。よく晴れた星空に揺れる松明の炎を眺めながら、ほんの僅かな時間物思いにふけった。

 しばらくして焚き火の炎もいよいよ高く燃え上がる頃、馬を引いた一団の影が西の丘を越えてくるのを見張りの者が見つけた。
「ようやく最初の奴隷が来たか。待ちくたびれたぜ」
 とハウランがあくびを一つやっていると、ギョトオが厳しい顔つきでやってきて王子の背を押した。
「殿下、テントへお下がりください」
「なんだよお、怖い顔して。連れていく女は俺に選ばせてくれるんじゃなかったのか」
「いえ。多すぎるのです」
 そう言葉足らずな言い方をして、ギョトオは西の丘へ目をやった。警備兵たちの動きもこころなしか慌ただしくなっている。
「どういう事だ」
「蹄猫馬が二頭……どちらも馬車を引いています。奴隷を売りにくるにしては、些か大所帯すぎるようですな」
「何。敵襲か」
 と訊いたハウランの顔にはむしろ、ぶわと不敵な笑みが咲いた。
「にしては、無勢すぎますが……。強盗団ということも」
「ふん。それこそずいぶんと無謀なことだ」
 とハウランは鼻で笑い捨て、ずいずいと兵たちの中へ割りいっていった。見張り台替りの大岩に飛び乗り、傍らの兵から双眼鏡を奪い件の一向の影を睨む。
「ついてるぜ。まさかこんなにも早く出会えるとはな」
 ……連合の奇襲にしては不用意すぎる。チンケな賊の類いが出張る時期でもない。とすれば、『奴』に違いないではないか。
「おいギョトオ、盾と長剣をもってこさせろ」
「殿下、何を……」
「連合の連中だか強盗団だか知らないが、そればかりの人数で乗り込んでくるとは舐められたものだ。恐れ多くもこの神聖フリナリカ王国第四王子ハウラン様が自ら彼奴らを葬ってくれようじゃないか」
「それには及びませんぞ。お戯れはそのくらいにして、どうか安全なところへ」
「これでも現場で四年も将軍やってたんだ。指揮ぐらいとれる」
「殿下の場合、剣を持ったら指揮では済みますまい」
「ふふ、斬り合いになって俺が討ち死にしたらギョトオ、師匠のお前の責任だな」
「そんな事態はご免こうむりたいですな。殿下、もう困らせないで下され。……これお前ら、殿下を無理にでもテントにお連れしろ」
「あ、こら、何をするお前ら!」
 と、若い衆の五人がかりにハウランはひとしきり抵抗したが、結局はそれも無駄になった。敵軍か強盗かと懸念された一行が、使いの者を走らせて来たのだ。それによれば一行は丘向こうの農村から十人余りもの娘たちを連れて来たのだと言う。
「しかし……困りましたな」
 ギョトオの頭を抱えるのを見て、ハウランは首を傾げた。
「どうした。奴隷を売りに来ただけだったんだ、何も悩む事はなかろう。……まあ俺としちゃあ、久々に剣を振るえなくて少々不満だが」
「初仕事でこれだけ大漁だとこれ結構とお思いになるかもしれませんな、しかしこれが困りものなのです」
「何故。カワイコちゃんが大勢やってくるなら大歓迎だろう」
「まあ仮に娘ら全てが『カワイコちゃん』だったとしましょう。しかしですな、買ったら買ったで我らはその処遇を考えなければなりません」
「困るくらいなら全部連れて行けばいいだろう」
「馬車に限りがあります。頭数が増えれば食料もそれだけ要ります。我らの目的は大陸全土から娘を買い集める事。そんな調子で誰彼構わず受け入れていては先がもちません」
「では先に都に送ればよかろう」
「それにも馬と馬車が要りますな。こんな序盤で馬車を戻すわけにはいきません」
「だったら断れ。いいのだけ見繕って買っていけばいいじゃねえか」
「それはそれで、いかに裏稼業とは言え王国の面子がありますからな。引き取れないと一度断って、民たちの不審を買っては立ち行きません。それに先程も申しましたろう。それほどの子供たちを差し出してくるからには、村自体が相当に悪い状況なのに違いありません。領民の救済も国の責務ですからな」
「へえ。そういうものかねえ」
 口先だけで分かりきったような問答をしながら、ハウランは苦々しい気分で胸を悪くしていた。連れて行くのも都に送るのも不都合、しかし引き取らなければならないのなら、とれる方法はそう多くない。おおかた、買い取った上で殺して埋めるのが一等丸く収まる方法というところだろう。……やれやれ、しょっぱなから散々な事になっちまったな。ハウランはそう悪態をつくかわりに小さく舌打ちをした。
 散々と言えば、『奴』の件もそうだ。なまじ期待してしまったばかりに気が抜けた。
 数年前から噂になっている……いや、王国の商隊に実害が出ているのだから単なる噂などではあり得ないのだが……とにかく得体の知れない『黒づくめの男』のことだ。
 噂通りなら恐ろしく強いらしい。その怪力は魔物じみ、あらゆる武具を使いこなし、妖術のようなものさえ操るそうだ。奴隷買いの商隊を襲い、女たちを奪っていくのが習性という。ただの強盗ならまだいいが、遭遇した商隊は皆殺しにされるのが常だ。その男についてまともな情報がないのはそのためだった。ハウランが知っているこの話も、その男から逃れて都に流れ着いた遊郭の少女から漏れ出たものだ。
 一度でいいからその男と手合わせしてみたい、とハウランは思っていた。
 だから辺境のこのふざけた任務につけとの命令は、実を言えばおあつらえ向きだったのだ。もともと自分は統治者には向いていないのだ、とも思う。子供の頃から、剣の技を磨く事しか考えてこず、そのまま大人になってしまった。だからこそ政治好きの義兄弟どもに出し抜かれるのだろうし、だからこそ己の全てを出し切るような斬り合いができればそこで死んでも本望だとさえ思う……。
「着いたようですな」
 ギョトオの声に我に返ると、二両の薄汚れた馬車が野営地に入ってくるところだった。

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