神聖フリナリカ王国盛衰史 異説集

◆はぐれ王子辺境譚 [1]

 ハラウン第四王子を擁する南方貿易隊特派第十二支隊一行は、どうにかこうにか日のあるうちに彼らの足である蹄猫馬が苦手とする砂丘を抜ける事ができた。少々無理の見える計画だったがここまでは万事予定通りの進行で、隊の実質的な責任者であるギョトオ副長は内心で胸を撫で下ろしていた。ここから数日は緩やかなマハイ丘陵地を進む事になる。
 安堵したのは蹄猫馬達の世話を任された馬係の連中も同じだったが、王宮の親衛隊から派遣されてきた警備兵達の顔はその逆で、いくらか緊張に引き締まって見えた。マハイは暗黙の了解のもと事実上の緩衝地帯となってはいるが、地図の上ではあくまで古諸侯連合の支配下である。黄色麦の刈り入れも終わったこの豊かな時期に山賊まがいの略奪もあるまいが、それでも王国領外の事、ともすれば危険と隣り合わせの行軍となることは覚悟せねばならない。
 それぞれの思いを乗せて馬車の列はまだ多少砂の混じった丘陵地の固い地面を進んだ。蹄猫馬の蹄の音だけが、夕闇近い辺境の地に響いていた。

 その晩、隊は灌木茂る丘の中腹にテントを設営した。四十余名の隊員を収容するキャンプは、第四王子のまします厚フェルトの半球テントを中心にテントは大小あわせて十を越し、傍目にはちょっとした集落である。沢の流れる谷間にキャンプを敷ければ言う事がなかったが、万が一の襲撃に備えるためと、土着の農民への配慮から少々不便な斜面での野営となった。
「まあそれなりに覚悟はしていたつもりだが」
 とハラウンは果実酒のガラス茶碗をぐいと飲み干してうんざりしたように吐き捨てた。
「この先の野営地もひどいのか。こう地面が傾いていては寝台から転げ落ちちまう」
 盾を使った即席の丸テーブルに、乱暴に茶碗を叩き付ける。天井からぶら下げた油ランタンの光が、金髪碧眼の赤ら顔を照らし出していた。およそ王子には見られぬざん切り頭の、しかし造形だけを見れば美青年でもあった。昼間の絢爛豪華な衣装を脱ぎ、庶民の着るような茶麻の寝間着に身を包んでいる。王宮の様子を知る者が見れば、この王子が相当に型破りな男であることがすぐに知れる有様である。
「いえ殿下、ここはまだ恵まれておりますぞ」
 そう返したのは向かいに腰掛けたギョトオ副長である。禿頭の矮躯に、顎髭だけは立派なものを蓄えている。こちらは毛織りの服に革の装具をつけ、旅の正装のままだった。
「世話係に谷の小川まで水を汲みにいかせることが出来ましたからな。湯を浴びられただけでも儲け物と思わねばなりますまい」
「何ぃ? 本当かよ」
「どうぞご辛抱を。それにしましても殿下、とんだ貧乏くじですな。退役後の勅命がこのような任務とは」
「くじだと? 馬鹿を言え。最初から決まっていたんだ。大叔父の一派が俺をお払い箱にしようと頑張ったんだろうさ。おおかた、盗賊か連合の軍隊にでも襲われて死ねばいいと思ってるに違いない」
「……ときに殿下」
 と、ギョトオが声のトーンを落として目に鋭い光を宿らせたのを、ハラウンもすぐに察知して投げやりだった口元を引き締めた。
「私めの手下どもの耳によればですが今回の人事、大叔父様はもとより国王陛下も手を組んでの殿下を陥れようとする罠ではありますまいかと。おふた方とも先の女王陛下に弓引き……」
「分かったからそこらでやめておけ、ギョトオ。どこに目耳があるかわからんぞ。今の話俺は聞かなかった事にする」
「はっ。お身内にとんだご無礼を……。ただ殿下、この支隊は隅まで私めの手下で固めております故、何につけてもご安心召されますよう、と、それをお伝え申し上げたかった次第。道中いかなる状況におかれましても、我らが命に代えてもお守りします故……」
「それもわかっている。もとよりこの命預けるつもりだ」
「ありがたきお言葉」
 そう言って低頭したギョトオを、ハラウンは馬鹿な奴だと思った。
 まだ幼子の時分のハラウンに、剣術の稽古を付けたのがギョトオであった。その因果か、今もギョトオはハウラン第四王子を次期国王に推す派閥の数少ない構成員である。無論如何わしい辺境の任務に左遷されるような自分が王位を次ぐ事などはもはやあるまいと、ハラウンは諦めていた。——俺が失脚すれば、この男もまあ、十中八九殺されるだろう。
「やれやれ」
 ハラウンは陰鬱な近い将来を想像してそう独り言ちた。
「ところで殿下」
 と言って再び顔を上げたギョトオの顔にはしかし、主人の頭をかすめたような暗さは微塵も見られなかった。
「見張りの者によれば、ここから少し上の高台からいくつか集落が見えるようですな」
 それだけ聞いてハウランにも見当がついたようで、おっというように眉を上げた。
「やるのか」
「はい。これから私ども今年の初仕事にかかろうかと思いますが、」
「無論立ちあうぞ」
 訊かれる前にそう言ってハラウンは立ち上がった。


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