神聖フリナリカ王国盛衰史 異説集

◆はぐれ王子辺境譚 [9]

 男の短刀がハウランの喉を裂くことはなかった。どこからか襲ってきた銃弾がその刃を弾き飛ばしたのだ。男の状態は大きく仰け反った。
 自分の隊が銃器を装備していない以上、その銃撃が誰によるものかわからなかった。もしかすると自分が狙われたかも知れぬとも思った。しかしそれでも機は機である。ハウランは手首を返して袈裟に斬り上げる体勢をとった。正当な剣術で言えば右下から左上に斬り上げるならば斬り下ろしの第二撃を見据えて左足を踏み込むものだが、ハウランは右足に重心を乗せて大きく踏み込んだ。身体のねじれと反動を利用した瞬発力重視の力技……もっと言えば捨て身の一太刀である。
 敵もさるもので、すでにどこからかもう一振りの短刀を抜いている。ふた振りの刃を交差させて防御の姿勢を取るかと思いきや、そうではない。片方でこちらの剣を弾いてもう片方で急所を突いてくる構えだ。不気味な紅い目は何処を睨んでいるのか分からない。
 しかしいける、とハウランは思った。この勢いなら弾かれはしない。突かれるよりも早く相手を真っ二つにできる。心を決めていよいよ右足を強く踏み込んだ。
 ……と、その時だった。
「双方、そこまでじゃ!」
 聞き覚えのあるようなないような女の声が響いて、一瞬、身体に強い抵抗を感じた。そのせいで切り上げの一太刀は相手の身体まで届かない。相手のマフィアにも同じことが起こったのだろうか。弱々しくハウランの剣を弾いただけで、動きを止めた。ハウランが大技の反動で一回転して相手を見据えた時には、男はすでに戦意を解いていた。
 ハウランの側はと言うと斬り掛かかりはせぬものの、距離を取ったまま剣を突きつける体勢になる。男はそれに気づいて呆れたように肩をすくめた。
 舐めやがって。ハウランが剣の柄を握り直すのと、再度喝が飛んだのは同時だった。
「収めよと言っておろうが!」
 それはつい先ほどまで同じ鞍を共にしていた黒髪の少女の、そしてまごう事なき高貴なる姫巫女のそれだった。ハウランは声のする自陣のほうを顧みたが、少女の姿は見えなかった。
 その代わりに視界に飛び込んできたのは異様な光景だった。ハウランと相手の男は、いつの間にか銃を構えた男たちに包囲されていた。それがただの人間でも驚愕したに違いないが、彼らはハウランに斬り捨てられた死者たちであった。血にまみれ、ある者は腕を切り落とされたまま、生気のない顔のまま立ち上がり銃の引き金に指をかけていた。
「面妖な……」
 そう声を漏らしたのはホブエスだった。彼は彼で息絶えたはずの部下たちに刀を突きつけられていた。
「ホブエス殿とやら。貴公、妾について知ったようなことを言っておったな。ならば不死の呪力など驚くに値すまい」
 相変わらず響くのは少女の声ばかりで、姿は見えない。ホブエスは戸惑いながらも臆する様子は見せなかった。
「……いいえ姫巫女君、調査不足だったようです。不死の力を他者に投影するなど想像もつかない。これは一本取られましたね」
「ならばこの場は退いてくれぬか。多くの部下を奪われたやる方ない心中は察するが、それはこちらも同じことじゃ。この上いたずらに死者を出すことは得策ではあるまい」
 この状況で死者が増えるとすればホブエスかマフィアの頭領か、あるいは両方かである、と少女は暗に告げていた。
 ホブエスが涼しい視線をマフィアの男に投げた。
「いくら我ら極道でも……」
 と男は肩をすくめて両手の短剣を収めた。
「得体の知れない化け物相手では牙の剥きようがない」
「……やむを得ませんね。退きましょう」
「英断に感謝しよう」
「それで、不死となった我々の部下は返していただけるんですか? もっともただ死んでいないというだけで、まともな状態ではなさそうですが」
「残念じゃが。……必要があれば妾らで丁重に葬ろう」
「それを聞いて安心しました」
 ホブエスはそれだけ言うと戦場に背を向けた。かつて彼の部下だった者たちは何かに操られたように刀を下ろし、道をあけた。頭領の男もすぐに付き従っていく。脇を通り抜けるとき、男は覗き込むようにハウランを見た。目だけでに睨み返すと、つくづく気味の悪い赤い瞳が粘度の高い光を放った。そのときハウランは悟った。斬り合っている最中は頭に血が上って気が大きくなっていたが、邪魔が入らなければ斬られていたのは自分の方だったのではないか。
「……あ、そうだ」
 と、ホブエスが立ち止まり、振り向かずに言った。
「退くことは退きますが、ありのままを報告させてもらいますよ、兄さん。盗掘犯であるあなたが隣国の姫巫女君と手を組みわが隊に甚大なる損害を与えたと」
 もう二度と、とハウランは思った。もう二度とこの弟と会う事はないのかもしれない。学校に通っている間は、仲の良い兄弟だった。昔は俺の方が勉強ができた。運動も剣術も負けた事がなかったが、賭けカードになると歯が立たなかった。もっと幼い頃には城の裏山で一緒に虫を捕った事もあった。別荘の小川で溺れかけたのを助けてやった事もあった。それなのに勝手に川に入ったと言って俺までこっ酷く叱られたっけ……。しかしそれは過去であり、それだけだった。
「ふん。好きにしろ」
 ハウランもホブエスの方を向かぬままそれだけ言って長剣を収めた。
 二人の男は足早に白い道を歩いて行き、遠くの岩場に繋いであった蹄猫馬に跨がると草原を西に駈けて行った。小さくなるその姿をハウランが見やることは最後までなかった。主を失った余った馬たちはその場に放たれたが、状況が飲み込めないらしく長い間そこに留まっていた。しばらくしてほんの束の間この世に引き止められていた死者達が壊れるように崩れ落ちると、ハウランも彼らと同じように草の上に倒れ込んで大の字になった。どうやら自分で思う以上の疲労があるようだった。
「殿下っ!」
「お怪我は……!」
 生き残った数名の兵が駆け寄って来てハウランを取り囲んだ。目立った外傷がない事を告げると皆安堵に頬を緩めた後で、辺りを見回してまたその顔を曇らせた。草原が赤く染まっていた。
「この隊は解散だ」
 とハウランは静かに言った。
「兄上の話を聞いてただろう。俺が都に帰っても殺されるだけだ。だがお前らはおそらくそこまではされるまい。民間人は都まで送ってやって、お前らはお咎めが不安ならどこかへ逃げろ。そうでなければ家族のもとへ帰れ。奴隷はそこらの集落にでも金貨を与えて託せ。ギョトオは帰れば殺されるだろうから逃げるように伝えろ。いいな。わかったら行け」
「はい。しかしそれでは殿下は……」
「俺は適当に姿を眩ますさ。お前らには世話になった。黙ってついて来てくれた事、感謝している」
「殿下……」
「もう行け。奴らが手を回す前に都に入るんだ」
「……はい。どうかご無事で」
 名残惜しそうな若い兵達を強いて発たせると、彼らは薬や自分が身につけていた金目の物を置いていった。去っていく鎧の音が聞こえなくなると静寂がハウランをとりまいた。
「おい。本当にいないのか」
 寝転がって蒼天を仰いだまま、ハウランは消えてしまった同行者を呼んでみた。
 姫巫女を自称する少女はその身分を証明するように何か得体の知れぬ術を使って、消え去ってしまった。そう思っていたハウランはずいぶん驚いた。返事が聞こえたのだ。
「何を言うておるか。妾はずっとここにおる」
「……何だと?」
 ハウランは思わず飛び起き、辺りを見回した。相変わらず、見えるのは死体ばかりであった。
 ……が、そのときバリケードのあった辺りで物音がした。大盾が肉塊の上から滑り落ち、大きな音を立てて地面に落ちる。さらに死体が蠢くように揺らいだので、ハウランはまた死者が蘇るのかと身構えたが、そうではなかった。どす黒い血の色に染まった少女の頭と細い腕が一本、肉の間から生えるように飛び出した。その頭が口をきいた。
「何をぼんやりしておるのじゃ。助けろ。重くてどうにもならん」
「お……おう」
 しばし呆気にとられた後で、ハウランは鎧を着たまま折り重なった重装兵の亡骸を転がしてやり、その底にうずくまっていた少女を引き上げた。
「流れ弾に当たらぬよう隠れておっただけじゃ」
 と少女は言った。薄衣を絞れば滴るほど血を浴びたせいで白い肌は赤黒く染まり、長く美しかった黒髪も浸かった血が半分乾いて滅茶苦茶に渦巻いて固まっていた。
「なんだよ。インチキじゃねえか。あいつらが生き返ったのもなにかタネがあるんじゃねえのか」
「人の肉体がそう簡単に消え去ったりはせん。心も同じじゃ」
「何だって?」
「まあ、あやつらをビビらそうと思って多少のハッタリはかましてやったぞ。先日もお主に言ったであろう。妾は不死の呪力を失っておるし、そもそも不死者であっても他人の死を覆すなどできようもない」
「よくわからんが、そういうものか。じゃあ……」
「なに。人間、意外としぶといものじゃ。どんなに血が流れてもそうすぐには死なん。いや、もちろんすぐに死ぬが、あっという間に死ぬわけではない。死んだように見えて束の間じゃが生きておる。そのか細い魂を操っただけじゃ。先だってお主の兵隊にやったのと、まあ同じ事じゃな」
「ふうん。……まあどうでもいいが、助かったぜ。感謝する」
「高くつくぞ」
「悪いな。払える物なんかなにも残っちゃいないぞ」
「嘘をつけ。さっき部下にたんまり餞別を貰っておったではないか」
「お前、あいつらのなけなしの気持ちまでむしり取る気かよ」
「冗談じゃ」
 ふふふ。
 その鈴の音のような笑い声を、ずいぶん久しぶりに聞いたような気がした。
「……お主、行く当てはあるのか」
「んなもの、あるわけないだろうが」
「ならばしばらく妾に付き合え。それでチャラにしてやろう」
「これからどうする気なんだ?」
「妾の目的は変わらん」
「黒尽くめの男……アーレンを探すのか」
「そうじゃのう。じゃが奴隷買いを続けるわけにはいかぬし、振り出しに戻ってしまったの。……ああ、そうじゃ」
 と少女は意味ありげな眼差しでハウランを射た。
「お主があやつ等から国をとり返すつもりがあるなら協力せんでもないぞ。あのホブエスとやらの話が広まれば妾ものんびりと帝国に帰るわけにはいかなそうじゃ」
「ああ、それは……どうだかな」
 とハウランは曖昧なことを言いながら、これからの事を考えようとした。しかし考えて答えの出る事ではなかった。今まで持っていた、ほとんど全てを失ってしまったのだ。
 まあとりあえず、穴を掘ってこいつらを埋めてやらなければならない。死んでしまえば敵も味方もあるものではない。しかし道具がないからずいぶん手間だな。それから、この草原をどうやって抜けるかだ。ホブエス達の残していった馬がまだそこらにいるだろうから、失敬していくか。どこへ? とりあえずはどこか最寄りの街にでも立ち寄って、うら若き姫巫女さまに着るものでも新調してやらねばなるまい。それから……。
 ハウランにはまだよくわからぬ事がたくさんあった。自分たちにとって魔球の研究は単に実用上の需要から進めていた物だったが、それをなぜホブエス達が手段を選ばずに追っていたのか。それに、黒髪の少女。おそらくは本当に太陽帝国の姫巫女なのだろう。その彼女が単身追っている黒尽くめの男。その正体。少女が魔球を使わずして繰り出す奇怪な術の数々。手に負えぬような大きなうねりの片鱗を感じるような気がして身震いが出る。
「妾も聞きたい事が山ほどあるぞ」
 ハウランの胸の内を読んだのか、それとも女の勘かわからないが、血まみれの少女はそう言ってハウランにぐいぐいと詰め寄った。鉄っぽい生臭さで胸が詰まる。
「……まずお主の持っていた……魔球、と呼んでいたか。あれは何じゃ。呪力に関してはずいぶん詳しいつもりじゃがあんなものを見たのは初めてじゃ。それからお主の国のことじゃが……」
「ああもう、分かった分かった」
 ハウランは少女を引きはがし、最初の仕事に取りかかることにした。シャベルの代わりになるものを探しに歩き出したハウランの後を、少女がまだ何やら喋り続けながら着いてくる。
 ……なに、時間はいくらでもあるんだ。やることをやってから、蹄猫馬の上でゆっくり話をすればいい。しかしそれにしても、とハウランは思う。これから相当な時間を共に過ごす事になりそうなのにこのままでは具合が悪い。
 今のうちに決着を付けようと、ハウランは少女に訊いた。
「おい」
「ん? なんじゃ」
「名前は捨てた、と言っていたな」
「うむ。それがどうかしたか」
「その捨てた名前を教えろ。得体の知れないままじゃあ、呼びにくくてかなわん」
 少女は一瞬きょとんとしていたが、それもいいじゃろうと言って自らの古い名を告げた。
 ハウランはその名で少女を呼んでみた。
「何じゃ」
「呼んでみただけだ」
「阿呆」
 とそっぽを向いた少女の横顔をみて、ハウランははっと胸を突かれた。



はぐれ王子辺境譚 完
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